1993年から1996年までの活動レポート



1993年7月「青少年のための科学の祭典」
 私が初めて参加したイベントで、この頃は棒を置いたり板に棒を挟んで坂道にしただけの御粗末なものでした。乗ってみて気づいたこと・感想はラベルに書いてもらっていました。参加者は4人だけで、今考えるとかなり無理があったように思います。当時は他に松葉づえを使うという案があったりしたのですが、この回のみで消滅してしまいました。

←障害物を正面から見たところ。
当時は適当に棒を置いたり、坂道を作ったりしていました。

←アンケート(ラベルを書いてもらっている風景)

1994年4月「青少年の科学体験祭り」 in 蒲群
 初めての地方遠征。このときから高校の観測部のメンバーの1部が参加し始めました。準備段階から観測部が手伝い、坂道・段差、などが板と釘を使ってきちんと作られました。スペースが狭いと言う事もあり、思ったようにコースが組めなくて苦労しました。
 当日は現地の人に手伝ってもらい、実際に車いすに乗って生活している方にも来てもらい、話をしてもらいました。

←ラベルを書いてもらっている風景

←直角カーブ坂道を登ろうとしているところ。
傾斜の為に真っ直ぐ進まず、かつ車いすの特性で、車輪の手で持つところに力がかかってしまい、思うように進めない。

1994年7月「青少年のための科学の祭典」
 この回から参加メンバーが爆発的に増えた。
 コースは砂利道、階段などを増やした。当初は科学面と福祉面を考えた2つのコースどりが行われたが、最終的には融合してしまった。
 宇宙飛行士との交流ということで、来場者に宇宙に対する疑問・呼びかけなどを俳句形式にまとめてもらい、NASDA宛に送った。
 この時にコースにあった「砂利道」を体験した方が、「車いすではこんな所は行かないんじゃないか?」という問いに対しショックを受ける。
←ラベルを書いてもらっているところ。

←コースを回っているところ。車いすを体験している人が、後ろに倒れないように補助をする者がついている。写真左下に見えている白いものは、砂利道。

1995年3月「青少年の科学体験祭り」 in 守口
 2階ロビーという悪条件の中、無事終了。このときは阪神大震災の直後であり、被災地の小学生が招待されていた。

←真っ直ぐに伸びているコース。写真左側が階段になっているので、落ちないようにテープが貼ってある。

←ラベルを書いてもらっているところ。一人一人に説明するのは大変なので、まとめて説明している。手前に座っている白い服を着ている兄ちゃんは、何を隠そう私である。

←一つの車いすに一人がつき、説明しながらついていく。

1995年7月「青少年のための科学の祭典」
 踏み切りなど、実際に街中にあるモチーフが登場。
←坂道の初めは段差になっているので、真っ直ぐ進むだけでは上る事が出来ない。よって、体験者が自分で上れない場合は、補助者が車いすの後ろに出ている棒を踏んで、前輪を持ち上げる。

←ずらっと並べられた車いす。

1995年9月「地球市民の科学を考える会」 in SPF
 これは、車いすの活動の番外編と言えます。今までは科学の祭典の下でしか活動していなかったので、小学生以外の方に体験してもらうのが難しい状態だったので、高校生や大人の方に乗ってもらうのが目的で私が計画しました。又、このときは今までの「外」の障害物のシュミレーションではなく、「内」(ドア・物を運ぶ)のシミュレーションを実験的に行いました。

1996年3月「青少年の科学体験祭り」 in 倉敷
 車いすの体験乗車を始めてから、初めての屋外コース。
 この回から、今までの「ラベル」の使用を中止し、アンケート形式になり、データを数値化してまとめるということが行われました。
途中から雨が降り出したので、屋内に移動するといったハプニングも。
←車いすに乗っている子供たち。
さながらサーキット場のよう。

←アンケートをとった場所。

1996年7月「青少年のための科学の祭典」
 7月27日〜31日まで開かれていた。
 科学という原点に戻るために、坂道、曲がり角を3段階の角度に分け、見やすいように看板を作ってたてた。


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